町立北浜中学校は、来年3月で閉じることが決まっていた。最後に残った仕事は、学校を残す方法を考えることではなく、住民が何を思っているのかを町へ渡すことだった。
生徒会に回ってきたのは、茶色い板に金具のついた古い回覧板だった。84世帯を回り、「残してほしい」「やむを得ない」「どちらでもない」の3つから丸をつけてもらう。自由記入欄は一番下に、申し訳程度の幅でついていた。
美波と航太は放課後、その回覧板を持って町を歩いた。玄関先で長く話す人もいれば、印鑑だけ押してすぐ戸を閉める人もいた。丸をつけたあとで、別の欄へ矢印を書き足す人もいた。
「こういうの、集計する人が困るよな」
航太はそう言ったが、矢印を消そうとはしなかった。
最後の家を回り終えたころには、自由記入欄の裏側まで文字がはみ出していた。「残してほしい。でも孫は市外にいる」「なくなるのは寂しい。ただ、維持費を聞くと強く言えない」「体育館だけは残せないか」。丸より文章のほうが多かった。
学校へ戻ると、2人は理科室の片づけを手伝った。机の上には3分の砂時計と、赤青に塗られた馬蹄形の磁石が残っていた。どちらも廃棄箱へ入れる予定だったが、担当の先生は「判断がつかないもの箱」を新しく作り、そこへ移した。
翌日の住民説明会で、生徒代表の意見を読むのは航太だった。原稿は先生が用意していた。A4で2枚、読むとほぼ3分。内容はきれいにまとまっていた。
航太は緊張すると声が出にくくなる。練習のたびに、最初の言葉を出す前だけ喉仏が大きく動いた。美波はそこを見ないようにして、砂時計をひっくり返した。
職員室の冷凍庫には、給食センターから届いた冷凍みかんが2個残っていた。先生が「もう給食もないし」とくれた。2人は校舎裏で食べた。閉校の話は、みかんを食べている間だけ出なかった。
説明会の夜、体育館には折り畳み椅子が並び、壇上の机にあの砂時計が置かれた。司会が航太の名前を呼んだ。
航太は原稿を開いたが、読まなかった。代わりに回覧板を持ち上げた。
「丸だけ集計すると、たぶん、違う気がします」
最初の言葉が出ると、そのあとは途切れなかった。航太は自由記入欄を上から読んだ。学校を残してほしい人、残せないと思う人、どちらにも丸をつけられなかった人。理由だけを読み、自分の意見は足さなかった。
砂が落ちきった。司会が小さく手を上げた。航太は回覧板の最後の行を見て、「あと30秒だけ」と言った。そこには「残してほしいに丸をつけたが、本当はよく分からない」と書かれていた。
説明会が終わっても、閉校の方針は変わらなかった。拍手もそれほど長くなかった。町の人たちは椅子を畳み、それぞれの車で帰った。
美波は掲示板から画鋲を外した。床に落ちた数本を、航太が理科室から持ってきた磁石で拾った。画鋲はすぐ吸いついたが、横に落ちていた回覧板の紙は動かなかった。
翌朝、回覧板は役場へ返された。窓口の職員が「処分でいいですか」と聞くと、航太は少し考えて、「判断がつかないもの箱って、役場にもありますか」と聞いた。職員は笑わず、保管の棚を1段空けた。
帰り道、美波の鞄には昨日食べきれなかった冷凍みかんが1個入っていた。もうほとんど溶けていた。皮をむくと指が冷たくなったので、半分を航太に渡した。
