No.48|領収書はあとで

午後10時40分、市立病院の夜間外来に7歳の颯太と祖父の和男が来た。颯太は左耳を押さえ、和男は灰色のスリッパのままだった。手にはスーパーの袋があり、中で柿が6個ぶつかっていた。受付で颯太は「耳にビー玉を入れました」と言った。

看護師の川井がライトを当てると、耳の奥に緑色のビー玉が見えた。泣いてはいないが、颯太は首を少し傾けたまま動かさない。和男は診察券を出したあと、「領収書、先にもらえますか」と聞いた。川井は会計は診察のあとだと説明した。

3分後、和男は同じことを聞いた。財布には薬局やスーパーの領収書が日付順に何枚も挟まれていた。川井が「お支払いは最後で大丈夫ですよ」と言うと、和男は納得した顔で柿の袋を膝へ置いた。

当直医が小さな器具を使うと、ビー玉はすぐに出てきた。颯太は耳を触って、「急に広くなった」と言った。

和男は笑った。それから診察室を見回し、「ここ、郵便局だったか」と言った。

川井は和男にも椅子へ座ってもらった。今日は何曜日か尋ねると火曜と答え、場所を聞くと市役所と言った。外で待っている人はいるかと聞くと、「家内が車にいる」と言った。颯太が小声で「おばあちゃんは3年前に死んだよ」と訂正した。

川井は最近転んだことがないか尋ねた。颯太が先に答えた。「2日前、柿を取ってて脚立から落ちた。頭もぶつけた」。和男は「そんな大げさなものじゃない」と手を振ったが、その動きは途中で止まり、右のこめかみを押さえた。

当直医の表情が変わった。颯太の耳の診察は終わったが、2人は帰れなくなった。和男は採血を受け、頭の画像検査へ回された。川井が柿の袋を預かろうとすると、和男は「これは明日の朝に剥く」と離さなかった。

検査を待つ廊下の窓から、小児棟の屋根にある風見鶏が見えた。古い鶏は風が吹くたびに東と北のあいだを行き来した。和男は何度もそれを確かめ、「北を向いたら冷える」と言った。同じ説明を3回した。

画像には頭の中の出血が写っていた。今夜のうちに脳外科のある医療センターへ移す、と医師が説明した。和男は最初に「柿がだめになる」と言い、次に「領収書をもらっていない」と言った。自分の頭については何も聞かなかった。

颯太は川井の電話を借りて母親へ連絡した。「じいちゃん、別の病院に行く。柿もある」と順番に伝えた。通話を切ると、和男に向かって「柿はお母さんに頼むから」と言った。和男はしばらく袋を見ていたが、ようやく手を離した。

搬送の準備が始まると、和男はまた「領収書は」と聞いた。川井は「明日で大丈夫です」と答えた。和男は少し考え、「明日って何曜日だ」と颯太に聞いた。「土曜」。和男はその答えだけは忘れないようにするような顔で、1度うなずいた。

川井は取り出したビー玉を小さな袋に入れて颯太へ渡した。「もう耳には入れないでね」。颯太は「入れない」と言い、続けて「じいちゃんのポケットにも入れない」と言った。和男は今度はちゃんと笑った。

母親が到着し、颯太と柿の袋を引き取った。救急車が出るころ、窓の外の風見鶏は北を向いて止まっていた。川井は会計机に和男の領収書の控えをクリップで留め、次の患者の名前を呼んだ。

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