No.44|海図にない北

明治の初め、新政府が沿岸の測量をやり直していたころ、宗一は17歳で、海図に線を引く見習いだった。測量船と呼ばれていた舟は、漁師の小舟より少し長いだけで、甲板には真鍮の羅針盤と測深縄、それから濡れるとすぐ機嫌を悪くする測量帳が積まれていた。

その朝、宗一は主任の榊と、船頭の源蔵と3人で岬の外へ出た。榊は羅針盤を指して「北さえ分かれば海は紙になる」と言った。源蔵は返事をせず、梅干しの種を舌の上で転がしていた。

昼前までは凪いでいた。榊は黒い日傘を差し、測量帳の上だけに影を落としていた。海の上で日傘を使う男を宗一は初めて見たが、榊は「紙が焼ける」と真顔で言った。源蔵は2個目の梅干しを食べた。

岬を回ったところで霧が来た。沖から押し寄せるのではなく、海面から白い布が持ち上がるように広がり、10分もしないうちに岸も空も消えた。

羅針盤の針が東へ振れた。戻り、また振れた。榊は箱を叩き、宗一に記録を取らせた。源蔵は櫂を止めて、「ここでは北が1つじゃない」と言った。榊は鼻で笑った。

次の波で船底が岩を擦った。舵の金具が外れ、舟は横を向いた。霧の向こうで砕ける波の音が急に近くなった。

源蔵は工具箱から木槌を出し、宗一に舵を押さえさせた。榊は日傘を畳んで測量帳を包んだ。木槌を3度打つたびに舟が持ち上がり、4度目で宗一の指先が金具に挟まれた。それでも手を離せなかった。

そのとき、霧の中で鈴が鳴った。

小さく、2回。間を置いて、また2回。源蔵が顔を上げた。「瀬の鈴だ」。岬の漁師が、霧の日に岩礁の位置を知らせるため竹竿へ結んでいる鈴だった。海図には載っていない。

榊は「音は霧で曲がる」と言った。源蔵は「羅針盤も曲がってる」と返した。

宗一は畳まれた日傘を奪い、開いた。榊が怒鳴ったが、宗一は傘の柄を甲板に当て、布のふくらむ向きを見た。風は羅針盤の北とは違う側から吹いていた。波の音、日傘、鈴。その3つを重ねると、舟が岩礁へ吸われていることが分かった。

源蔵は応急修理した舵を切った。宗一は木槌を握ったまま、鈴の音が左へ移るたびに声を出した。榊はしばらく黙っていたが、やがて測深縄を投げ始めた。深さが2尋、3尋、5尋と増えた。砕ける波の音が遠ざかった。

霧を抜けたとき、3人の前には何もない青い海があった。宗一の右手は腫れ、榊の日傘は骨が2本折れていた。源蔵は最後の梅干しを宗一へ寄こした。酸っぱさで、指の痛みが少し遠くなった。

港へ戻ると、榊は測量帳を乾かし、羅針盤の誤差を「局地的な磁気の乱れ」と記した。鈴については何も書かなかった。宗一が尋ねると、「国の海図に音は描けない」と答えた。

その晩、宗一は清書前の下図を1枚だけ机に残した。岩礁の位置には正式な記号を置き、その横へ、ごく小さな鈴を描いた。北を示す矢印より小さく、けれど消しゴムで消すには少し惜しい大きさだった。

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